中満須磨子
中満須磨子は、新聞記者。
ベストセラー『紅茶キノコ健康法』の著者として知られるが、実際は読売新聞記者小川清がゴーストライターとして執筆したものである。
中満須磨子プロフィール
明治32年(1899年)4月26日東京市麻布区箪笥町で、時事新報記者牛山才次郎次女として生まれる。
長野県立諏訪高女を卒業ののち信濃日報記者となる。
大正末期に読売新聞記者中満義親(後に同社編集局長、取締役)と結婚。
紅茶キノコブーム
当時ソ連で普及していた紅茶キノコを共産党都議の梅津四郎が持ち帰ったが、家族の誰も口にせず不要になったため、隣人の新聞記者小川清に分け与えたところ、健康増進を実感した小川が中満須磨子に名義を借りて1974年に『紅茶キノコ健康法』を出版。
翌年、健康雑誌『壮快』で取り上げられたことで評判を呼び、政財界や芸能界を巻き込む大ブームを巻き起こした。
半年間で30万部を売りあげた著書の巻末には菌体の申込書が添付されており、最高で一日2万通の申込みがあった。最盛期の愛飲家は300万人と推測された。
培養菌を高値で売りつけるものも現れた。
女性週刊誌には培養菌の芸能界における授受系統図までもが掲載された。
ブームの加熱とともに効果を疑問視する声が多発したことを受けて、厚生省は「効果の実態は明確でない」との見解を示した。
さらに、専門家から雑菌が発生するという指摘があり、ブームは急速に収束に向かった。
関連雑誌記事:小川清寄稿『「紅茶キノコ健康法」の著者中満須磨子と私』文芸春秋 1979年12月号 70年代を創った34人